Chikirinも小飼弾もわかっていない「大学統合の前に必要なこと」

タイトルはtaitokuさんからのパクリのレスペクト(笑)です.

一週間ほど前,Chikirinさんのエントリに端を発した「国立大学の統廃合」問題ですが,最近はすでにみなさん飽きちゃったのか,ほとんど見かけなくなりましたね.なので今更感漂うエントリですが,気になって仕方ないことがあったので,一度吐き出しておくことにしました.
一人の考えだといろいろと抜けているところがあるだろうけれども,一旦書いて公開してしまえば,不備を指摘してくれる人が世の中にはたくさんいて,少しはまともな考えになるでしょうから.元エントリに対する反応は発声練習(next49)さんのところにまとめられているし,元エントリに対する自分の言いたいことは,lastlineさんがほぼ代弁してくれましたので,ここではそれとはちょっと別の観点から意見を述べたいと思います.
そもそもの発端は,「18歳人口はもうすぐピークの半分以下になるんだから、普通に考えれば大学の半分は不要」という前提から生じているようです.さて,この前提,前半は事実としても後半はどうなんでしょうか? 大学の統廃合の是非という点に議論が集中していましたが,解決策は本当にこれだけなのでしょうか? 少し考えてみるとすぐに分かることですが,大学を減らさなくても良い方法があります.大学の方を減らすのではなくて,大学に通う学生の数を減らせばいいんですね.
ここに興味深いデータがあります.学生と教員数の比率を示したものです(黒木登志夫『落下傘学長奮闘記』p.181).

大学 教員一人あたり学生数
東大 6.6
京大 7.3
筑波大 7.3
東工大 8.9
岐阜大 9.5
静岡大 12.7
旭川医科大 3.5
一橋大 16.0
愛知教育大 15.6
鹿屋体育大 12.6

参考までに海外の(いわゆる一流)大学と比較してみましょう.こちらの表は正規常勤以外の教員も含んでいますので,若干値が小さくなっています.東大を参考にしてください.

大学 教員一人あたり学生数
ハーバード大 4.4
イェール大 4.1
ケンブリッジ 6.5
オックスフォード大 5.6
カリフォルニア工科大 5.4
東大 5.4

こうやって見ると分かりますが,地方大学は一般に対教員学生数が高い傾向にあります(私立大はもっと高いんですがそれはまた置いといて).対教員学生数が高いということは,その分,学生の教育にかかる費用は安くなるわけです.それを裏付けるデータもあります.学生一人あたりの年間教育経費です(ibid. p.120より抜粋).

大学 学生一人あたりの教育経費
東大 31.9万
京大 23.7万
筑波大 37.3万
東工大 21.4万
岐阜大 21.1万
静岡大 13.7万
旭川医科大 41.6万
一橋大 16.0万

もちろん,研究室に入れば教員の研究費で研究を遂行することもあるので,学生に対して年間にこれだけしか使っていないわけではないのですが,それにしても,昔言われていた国立大学の学生一人には年間どれだけの税金が使われているのかよく考えろといわれていたのが嘘のようです.これではあまりにも学生が可哀想です.
というわけで,地方の活気にも経済にも打撃を与える大学統廃合ではなく,各大学の定員を減らせば,大学数はそのまま,教育の質もあがるという計算になります.大学にもよりますが,東大や京大は5分の1程度,地方大は2分の1程度にするのがちょうどよいのではないでしょうか.

さて,こうなると心配になるのは定員が減った分の授業料による収入減ですが,これは授業料を値上げするしかないでしょう.世界でも類を見ないほど高い授業料ですが,さらに値上げをするとなるともっと反発を受けそうです.しかし,ここは全員に授業料と同額の奨学金を貸与することで解決できるのではないかと思います.
今は無くなってしまいましたが,かつて日本育英会では,研究職に就くことによって返還が免除されていました.この制度を強化して復活させるという手があります.国立・公立機関の研究職,もしくは国家・地方公務員の就職ならびに勤続20年くらいで返還を免除するというものです.こうすれば,奨学金は国や地方への人材への投資と考えることができます.決して損ではないと思います(余談ですが,この場合,入学金は廃止しておくべきでしょう).
ただし,こうなると今度はその研究職の受け皿をどうするかという問題があります.特に最近の人文系の就職率の悪さは目に余りますし,高学歴ワーキングプアといった問題も認知されたと考えるべきでしょう.また,地方大の定員減による活性効果の減少も気になります.

ここでこれらを一度に解決する方法が,全国統一社会人養成大学(校)の設立です.現在の大学問題で無視できないもの一つに学生の質の序列化があります.もちろん,大学そのものの質の差というのもありますが,それは実は思われているよりも小さいものです.地方大学の方が教育も研究も質が悪いということはありません.
にもかかわらず,受験生は偏差値によって受ける大学を決めてしまうため,学生の質にははっきりとしたレベルの差が見られます.この意味では,全国から学生の集まる東大を除けば,京大ですら地方大学といって差し支えありません.実際に関西圏以外からの合格者は年々減少し,東大指向の都道府県が27あるのに対し,京大指向は12と半分以下になっています(平成20年度 都道府県別東大・京大合格者ランキングと公立高校占有率).
だから,日本の大学を東大と京大の系列にしてもあまり魅力はないと考えます.また,既存の大学を調整・統合するのは想像以上にお金と労力がかかります.今の日本の大学にそれをするだけの余力はないと見て良いでしょう.しかし,新設するとなれば話は別です.
新設するのは民間企業への就職を念頭に置いた卒業成績保証型の大学です.教養課程+社会人技能の習得を目的として,大都市圏を除く各地方に新設します.キャンパスは定員が減って空いた地方大学のスペースを利用すれば大幅な新規投資をする必要もありません.
特徴としては卒業前に教養・実務を対象とした統一卒業試験を行い,その成績全てを開示するということです.英語はこの流れだとTOEICTOEFLの点数になるでしょう.こうすることで,企業にとっては採用する学生の能力がはっきりしますし,学生にとっても大学名によって一喜一憂する必要がなくなります.また,教養教育を行うことで,人文系・基礎科学系の就職枠を広げるという側面もあります.
そして,ここがポイントなのですが,この大学の卒業生を採用した企業は,国に人材経費として大学のレベルに応じて一人あたり150万円から300万円を支払うことにします(地方大学には地元企業の人材育成という側面もありますので,大学のある地方に本社を置く企業への就職時は優遇するべきでしょう).このお金は先の大学向けの奨学金基金や,養成大学の運営金として活用することができます.また,養成大学も国立であれば奨学金ベースで授業料をまかなう方式にしておけばよいのではないかと思いますが,もともと企業からのお金がある以上,授業料自体は高くする必要は低いはずです.これによって,公的教育の個人負担金を大幅に減らすことができます.

え,何で企業が学生の育成にかかるお金を支払う必要があるのかって? しかしですね,日本の国立大学を一番ただのりをしてきたのは民間企業に他なりません.大学にとって一番の財産は,老朽化が進んだ施設や設備ではなく,人材そのものです.考えてみれば,税金で運営されている大学で育成された人材が一部の民間企業に入るということは,民間企業も税金を払っているとはいえ,やや不公平ではないでしょうか? ここは受益者負担を積極的にお願いしたいところです.また,企業にとっても,採用経費の削減,研修期間の大幅な短縮による効率化などが見込めるため,決して悪い話ではないと思います.後は,省庁の枠を越えて,人材経費を経費として認め,また採用した人を資産として計上しないように法律その他を改正するくらいでしょうか.
このような大学は大学ではないという声もあるでしょう.が,実状を見る限り,多くの大学が就職予備校と化していることを否定することは難しいのではないでしょうか.すでに大学の専門教育が企業から見放されて久しくありますが,そうであるならば,専門教育を除いてより実務に特化した教育を行い,その代わりに企業から対価を得る方法が望ましいのではないかと考えるわけです.なら,教養教育も要らないんじゃという人もいそうですが,おそらくそれを無くしてしまうと専門学校との区別が付きにくくなるでしょうし,企業も完全にはそれを望んでいないだろうし,というのが一応の反論です.

とまあ,身も蓋も,まとまりもないことを書いてしまったわけですが,単なる思いつきを書いただけですので,いろいろと都合の良い解釈をしているところも多いかもしれません.その場合には,はてブなり,コメントなりで指摘していただければ幸いです.あと,こういう言い訳をするのはあまり好きではありませんが,念のため述べておきますと,本文章は筆者の所属する団体その他とは一切関係ないですし,筆者自身もこうあるべきと思っているわけではございませんので,その辺みなさまにはご考慮いただきますようお願いいたします.