先人に学ぶ

昨日と同じくGotzさん(id:metagold)のところより.座談会の後に出てきた「Hikawaさん」のお話.有名な方ということでしたが,その場のメンバでお名前を知っている人はいなかったという…(どうもすみません).ニコニコ動画どころか,インターネットがまだ一般に知られていないころのアニメファンのお話でしたが,今のSZBH方式(cf.ニコニコ動画で新しいラジオの楽しみ方が誕生していた - 敷居の部屋)に通じる楽しみ方をしていたと聞いていたので,気になっていました.
該当個所を訳すと,こんな感じでしょうか.

90年代初頭,HikawaさんたちはNiftyのBBSサービスを使って,アニメについてやりとりしていたそうですが,その方法が普通じゃなかったのです.(中略)
彼ら(Niftyの参加者)は,単にスレッドで議論するだけじゃなく,まるで今のニコニコ動画で見られるような「生の」チャットを発展させたのです.
どうしていたのかというと,まず,誰かがお勧めしたアニメの放送を録画します.そして後日,参加者は各々が録画したビデオを同時に再生します.こうすることで,全員が同時に視聴するわけです.彼らはお互いにNiftyに接続することで,今のニコニコ動画のように,視聴経験を共有し,コメントすることができたんですね.
今と違って匿名ではありませんでしたので,やりとりは非常に丁寧でした.大体は10人くらいの人数でしたが,コメントをブロックする手段はありませんでしたので,このくらいの規模を維持するのが大変だったそうです.15年前でも「空気」--同時視聴によって生まれる肯定的な感情--は中心的な概念でした.また,当時から,彼らはすでに笑いや賞賛の時には略語を使っていました.VHSとNiftyの時代に,すでに「ニコニコ動画」が存在していたなんて考えられますか?

うーん,まさかNifty時代にそんなことが行われていたとは….SZBH方式は,まさに車輪の再発明ですね.
続いて,どうしてニコニコ動画の初期にアニメが注目されたのかについても,インタビューされています.

彼によると,アニメとは「生と死」だということです.アニメのキャラクタは,静止画から生まれます.静止画というのは死んだ状態です.その一方で,動きは彼らに命を吹き込みます.生きているけれども,一方では死んでいる--つまり,動かない静止画の集合である--ことが分かっています.動きが生をもたらし,生の中に死がある.これがファンに,常に死があることを意識させ,生を超えた再生産を促すのです.コミックマーケットはこういったファンの欲求に応えてきました.そして,今,ニコニコ動画は新たなレベルの解答として発見されたのです.

Hikawaさんですが,おそらくこのかたでしょうね.コミケニコニコ動画に共通性があるという話は,飲み会の時にも出ていたのですが,ちょっとピンと来なかったところもあります.この辺については,もう少し細かい話を伺いたいものです.
最後は,日本のアニメと比較してニコニコ動画のコンテンツはどうかというお話.

ニコニコ動画はいいタイミングで出てきたのでしょうか.日本のアニメ産業は苦境にあります.常に資金繰りに苦労しており,多くのアニメータは困窮してきました.近年,状況はさらに悪化しつつあります.多くのアニメスタジオは崩壊寸前です.だから,ニコニコ動画は生の別の形として誕生したのでしょうか…つまり,ニコニコ動画はアニメに新しいレベルをもたらしたのでしょうか.Hikawaさんは懐疑的で,ニコニコ動画のMADに対して,日本アニメの傑作と同じ芸術的評価を認めていません(関係ありませんが,私(=Gotzさん)も同じ立場です).
アニメはニコニコ動画がもたらすのと同じくらいの集合体による共同作業の産物ですが,その一方でMADはまだ個人作業に留まっています.しかし,まだ始まりにすぎません.そして,この新しい協同的創造の環境の中でコンテンツがどのように発展していくのか,まだ誰も知りません.Hikawaさんはニコニコ動画を観察し続けています.ニコニコ動画自体が希望の印なのです.

うーん,現状では厳しい評価のようですね.たしかに個人作業には限界があります.一つの動画に注がれる労力という点では,まだまだでしょう.でも,一部で起こっている動きを見ると,また違った見え方ができるような気がします.

さてさて,ニコニコ動画はどこに向かうのでしょうか.個人的にはとっても期待していますけれども.
こんな感じでいろいろ示唆に富む記事が多いので*1,英語だからといって,Gotzさんの記事を読まないのはもったいない気がしますよ.
しかし,訳の文章が下手くそだなぁ.どなたかもう少し上手に訳してください….

*1:なかなかこういう話って目にする機会がないですからね.意外と狭い範囲の情報しか拾っていないものです.