大学院進学は自殺行為か

id:dice-xさんのところより
曲がりなりにも大学院に進学できて、研究させて戴いている身としては、非常に実感のある言葉だと思います。実際、理系同期、修士卒で就職した人の話を聞いていると、とても同じ年齢とは思えません(苦笑)。

もちろん

「僕ら、研究者は何も生産していない、無責任さだけが取り柄だからね。でも、百年、二百年先のことを考えられるのは僕らだけなんだよ」

by 犀川創平(森博嗣すべてがFになる講談社文庫)と言うことは出来ます*1。好きなことが出来るというのもあります。けれども、現実に目を向ければ、それどころじゃない。百年どころか、来年のことを考えて研究するのにも精一杯というのが、大半ではないでしょうか。好きなことをやっていても、どうしてそういう研究をするのか、社会に対する説明責任もしなければならない。

その上、博士課程を出ても、就職もなければ、奨学金の借金ばかりが残るだけとなれば、確かに自殺行為ですね。

けれども、こう後ろ向きの議論ばかりなのは悲しい。少しは、事態が改善できるような策はないものでしょうか。例えば、自殺行為にならないようにするにはどうしたらよいか、考えてみるとか。

※注意
以下、アップする前に読んだら、支離滅裂なことに気がつきましたが、メモとして上げておきます。なので、放置しておいて下さい。

最近気になっているのは、とりわけ文系における訓練不足。いや、十分勉強や指導をしているという声もありそうですが、それが世間の指標とズレているのではないかと思うのです。文系と一括りにするのはいろいろ弊害がありますが、一旦それは置くとして、どうも見たところ文系の学生(院生)は「一般技能」のスキルの訓練が不足してそうです。理系でも特に工学系の学生が、専門・一般に関わらず厳しい訓練を受けているのとは、対照的です。

専門知識があるとか、論文が読める、理解できる、書けるというのは、これは仮にも専門家の卵なら身に付いていて当たり前のことであり、ここでいう「一般技能」とは別のものでしょう。

それじゃ、一般技能って何なのってことですが。
まず、リサーチ能力。必要な文献を探して、まとめる。これは、文献に限らなければ、広く必要とされる能力の一つでしょう。むしろ、文献に限らず、必要な資料を集めるための訓練の方が必要です。このための訓練を受けた記憶はほとんどありません*2

次に、コンピュータを扱う能力。今の時代、論文を手で書く人は、ほとんどいません。そうなると、コンピュータを使って論文を書くことになります。発表もプレゼンテーションソフトを使って、発表内容を組み立てる必要があります。研究データを処理するには、表計算ソフトや場合によっては、プログラムを書かなければいけないこともあるでしょう。そういった知識は、現代では必須の側面もあるため、売りにすらならないかもしれませんが、少なくともこれだけのこと全てを一人でこなせれば、十分な技能と認めてもらえるでしょう。けれども、これらも、以下略。

他にもディスカッション能力とか、語学力とかありますが、これ以上書く必要はないでしょう。

問題は、こういう能力を体系的に訓練してくれる大学って、どれくらいあるかということです。少なくとも大学院に進学する前に、こういう能力が十分訓練されていれば、進学しても個人の努力で磨いていくことが出来ると思うんですけどね。後は、そういう能力を個人、大学に限らずアピールしていくだけじゃないかなと。そうすれば、自殺行為にはならずに済むと思うのですが…だんだん当初の論点からずれてしまった感が。後日、またゆっくり考えてみます…。

*1:この科白が言わんとすること、それ自体は本当だと思います。そして、その自負も多少なりとありますが。

*2:一般教養として受講したことはありますが